2012年1月28日土曜日

16:40-15:05
 
「60年代末〜70年代の自主記録映画における「時間」の表象:シネマ・ネサンス作品を中心に」
畑あゆみ(山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)
 
  「なぜ自分は今、 映画を撮るのか」―古今東西を問わずほぼ全ての映像作家たちが一度は抱くであろう問いである。1960年代から70年代前半にかけてのいわゆる「政治の季節」に映画を作り始めた自主映画作家たちは、その問いをとりわけ真摯に受け止め、革新的な作品作りに反映させた。本発表では、彼らの作品に記録された被写体の「時間」だけでなく、撮る側である製作者自身の「時間」がいかに自覚的に捉えられ、彼らの映像と音声に描出されていたかを探る。この時期は、カメラの存在が眼前の被写体および出来事を変化させる様子が記録され、提示されるシネマヴェリテの革新的な手法が、様々な作品に取り入れられた時期でもあった。ここでは、被写体の変容を待つこうしたヴェリテの手法に則りながら同時に「自分が 生きた時間を残す」ことを試みた岩佐寿弥/シネマ・ネサンスの『ねじ式映画・私は女優?』(1969)や、撮る欲望を隠さず、製作者と被写体の時間の融合を見せる小川プロのいくつかの作品を参照しながら、そうした作り手の時間の反映が、「公」と「私」の表象が大きく変容していく70年代以降の記録映画史においていかに位置づけられるかを改めて考えてみたい。