2012年1月28日土曜日

14:10-14:35
 
監督者の創生――映画の生産と消費を担う監督像――
 洞ヶ瀬真人(名古屋大学・HYI客員研究員)
 
  日本の映画監督は、戦前の左翼傾向映画や軍国主義時代の映画製作において映画の「作家」、表象の担い手と見なされる存在であり、いわば映画における政治参画の中心的主体であった。このことに対し問うてみたいのは、なぜ分業上の一役割である監督者が、そのような政治的イデオロギーを担う存在になっていったのかという問題である。自分の研究では、監督者個人の創造性のなかに問いの答えを見いだす方法とは別の視点、すなわち作品を観る側がどのようにして監督者を中心にした映画文化を想起し、彼らに政治性のようなものを求めるようになったのかという、受容の側から考えるアプローチを提案している。
  監督者像が明確になってくる一九一〇年代の日本の雑誌言説では、彼らが責任を担う映画の生産に関わる議論よりも、米国映画作品の付帯情報として読者に提供される映画監督のイメージによって、その役割は具体的なものになっていた。本発表では、日本の監督者像の源泉になった米国の監督者たちが、どのように初期の映画文化の中に現れたのかを、米国の雑誌言説から考察する。そして監督者像は、米国でもまた生産面だけでなくその受容、映画の消費と結びついており、むしろ消費面における監督者のイメージが日本での監督者像につながっていたことを示したい。